渋谷桜丘駅前共栄会
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渋谷今昔
渋谷の由来
渋谷という地名は、江戸時代に作成された文献により二説に分かれる。ひとつは、『新編武蔵風土記稿』によるもので、昔、この辺りを「塩谷の里」と呼称したことに由来するという説である。その根拠は、土中を掘ると青い砂や、貝が出土するなど、昔この辺りが海辺であったことである。そこから塩谷の名が生まれ、その後塩谷が渋谷に変わったとされている。
もうひとつは、『金王八満神社社記』にみえる河崎重家の改姓に由来する伝承である。桓武天皇の孫高望王の子孫で秩父党の一人である河崎冠者基家は、永承6(1051)年、前九年の役に源頼義に従って功をたて武蔵国豊島郡谷盛庄を与えられた。基家の子重家が源義家に従って京都にいたときのある夜、宮中に盗賊が入り、これを生け捕りにした。賊の名を聞くと、渋谷権介盛国と答えたので、堀川天皇は重家の武勇をほめて、姓を渋谷と改めたため、重家の領地「谷盛庄」のなかに「渋谷」という村が出来たといわれる。
以上の二節は、あくまでも伝説の域をでるものではないが、当時の文献資料が残存していないので、詳細は依然として謎となっている。

渋谷駅
明治42年当時の渋谷駅。明治18年、品川鉄道(明治36年から山手線と小少)の開通と同時に開業した。当初の駅は現在位置より約300m南にあったが、大正6年、今の場所に移った。蒸気機関車の近くにに、河川をつる木柱が見える。電化直前の写真であろう。 大正年代の末ごろの省線電車渋谷駅前。停車しているのは市電。右手の前方に、玉川電車の本社の建物が見える。

 
昭和57年。国電渋谷駅前。広場の中央に駅前交番がある。その裏手の右寄りにハチ公の銅像があり、近年、この広場は、ハチ公広場と呼ばれている。  

桜丘、旧大和田町(昭和26年)
 

大和田小学校より(昭和52年)
学校から北西のまち(昭和52年) 学校から東のまち(昭和52年)

 
学校から南南東のまち(昭和52年)  

金王八幡宮
「渋谷」の地名の起こりとなった渋谷氏の館などがここにありました。江戸初期の建築様式が今も残る区内の代表的建築で、社殿と門は区重宝に指定されています。
●金王桜 八幡宮境内にある桜で、江戸郊外三名木の一つに数えられていました。

R246桜丘通り

桜丘通り

 

 
南口交差点の国道246号線と首都高速3号線  

桜丘 日本会館
 
桜丘の日本会館  

渋谷 南口
 
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