桜丘物語

桜丘はその昔、別名「海江田山」といわれ、明治維新に薩摩軍海江田隊長が桜の木を植え住宅地として開発したことが、現在の地名の由来といわれています。1980年代に入るとマンションが増え、丘の周りには、上品でオシャレな小さなレストランなどの飲食店が集まってきました。さらにオフィスビルも増え、今の桜丘があります。
今では、さくら坂の桜並木は桜丘の象徴ですが、戦後に、桜の木が切られ柳の並木になりました。現在の桜並木は、1991年に植えられ、2010年には歩行者優先のための一車線化で桜の木が歩道の中に点在する現在の姿になりました。
桜の季節には桜を囲んで多くの人々が集まり、鳥がさえずり、桜丘の名産「渋谷のハチミツ」のみつばち達も蜜を集めにきます。
また、桜丘は文教地区に指定されていたため、多くの専門学校や音楽・芸術関係の教室がたくさんあります。国際的文化都市・渋谷は芸術を目指す若者たちが集まる街になると期待をされています。現在、再開発計画も始まり2020年東京オリンピックや50年、100年先のステキな渋谷桜丘の街づくりが進んでいます。

昔の渋谷・桜丘

渋谷駅
明治42年当時の渋谷駅。明治18年、品川鉄道(明治36年から山手線と小少)の開通と同時に開業した。当初の駅は現在位置より約300m南にあったが、大正6年、今の場所に移った。蒸気機関車の近くにに、河川をつる木柱が見える。電化直前の写真であろう。大正年代の末ごろの省線電車渋谷駅前。停車しているのは市電。右手の前方に、玉川電車の本社の建物が見える。

桜丘、旧大和田町(昭和26年)

大和田小学校より(昭和52年)

金王八幡宮
「渋谷」の地名の起こりとなった渋谷氏の館などがここにありました。江戸初期の建築様式が今も残る区内の代表的建築で、社殿と門は区重宝に指定されています。
●金王桜 八幡宮境内にある桜で、江戸郊外三名木の一つに数えられていました。

桜丘通り

南口交差点の国道246号線と首都高速3号線

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